田中ママの奮闘日記

20歳で大学を中退し、11個年上の彼と3カ月の交際を経てスピード結婚。結婚後約半年で新しい命を授かり2020年夏に元気な男の子Babyのママになりました。嫁として、主婦として、母として、母として、また一人の女としてどう生きていくのか記録。新しい人生のテーマは『いかにノーストレスで暮らせるか』。

Small discoverise are an important spice to enrich your life

暖かいご飯が温めてくれるもの

みんなのご飯事情はどんな感じ?

現在の時刻は19時を少し回ったところ。朝はヨーグルトにバナナをスライスしたものを乗せて蜂蜜をかけた軽い朝食を済ませただけで昼食は取っていないため、アタイの空腹度合いはマックスを超えて大きな唸り声をあげている。人間の三大欲求の一つである『食欲』は現在進行形で私の思考を『おなかすいた』一色に染め上げている。

皆さんの今日の夜ごはんは何ですか?

 

私は食事について考えるとき、何よりも大切なのは『何を食べるか』ではなく『誰と食べるか』だと思っている。勿論、バランスのとれた食事を心がけることをおごそかにして良いというわけではない。美しい体系を保つため、健康な体を作るために栄養バランスは欠かすことができない。だけどひねくれもののアタイはそこで、「じゃあ、バランスのとれたフルコースが毎日自動的に提供されるとして、たった一人小さな箱のような部屋で黙々と食べるのは健康にいいんかい」とけんか腰で突っかかってしまう性分。よくないね。いや、よくないのは私の幼少期の食事形態だと思うんだよね。

 

私の両親は私が小学校を卒業するまでバリバリに働いていた。父は朝早くに出て行き18時ころ帰ってきては次の日のまた朝早い仕事に備えるため「絶対にうるさくするんじゃねえぞ」と釘を打って眠る。母は夜のお仕事だったため逆に昼間たっぷり寝て、05時頃からめかしつけ、家を出た。私は小学校から帰ってくるとテーブルの上に毎日決まって置かれていた1000札。私の夕食はこれだった。稀に母の出勤が一時間でも遅いときは、「これでなんか買ってね」と手渡しで渡されることもあった。夕食代を母から直接渡してもらえる、たったそれだけのことでも毎日食べていた同じコンビニ弁当は味が全然違う。600W5分、得意になったレンジアップ。同じ時間同じワット数で機械に温められたお弁当もなんだかいつもよりあったかいし、味が濃い気がしたものだ。

アタイは、夕ご飯なんて好きじゃなかった。

お小遣いなんていらないから、母が作ったご飯を父と妹たちと同じテーブルを囲んで食べたかった。

白いご飯と具がないお味噌汁だけだっていい。自分にとっては、整理整頓された棚に並んだ500円のコンビニ弁当なんかより、ずっとずっといいものだった。

 

高校生の時、家に帰りたくなくて今日は野宿するといったアタイを家に誘ってくれた友人がいた。友人のお母さんとおばあちゃん、お姉さんと友人と私。こんなに大人数で食卓を囲むのはいつ振りだろう。思わず泣いたのはすごく覚えていた。

 

それが今、私は、私の作るご飯を待っていてくれる人がいて、その人は私の作った不格好なご飯をおいしい、おいしいといって食べてくれる。

誰かと食べる食卓が当たり前になった。

誰かのためにご飯を作るのが当たり前になった。

独りで食事をすることがなくなった。

 

貧乏で立派な食事は作れないけど、たまに失敗して未知の物体を作り上げても、誰かとテーブルを囲んでお腹を満たすのは本当に幸せなこと。家族、友人、恋人、大切な人と食べるご飯ってどんなものでも格別なものです。

 

この記事を読んでくれている人が、おいしいご飯を食べられていますように!

皆さんは今日、誰とご飯をたべますか?

 

ちなみにアタイん家のメニューは生姜焼きだったりして。

皆さんもお勧めのメニューなんかあったら花嫁修業中のアタイに教えてほしいです。